街場のメディア論 ~キャリア選択において、自己評価を当てにしてはいけない~
先日、このブログにて読書記録アプリを紹介しましたが、読書の秋らしく読んだ本の感想をつらつらと書いていきたいと思っています。
(記事はこちら→ ビブリア~読書の秋~)
今回読んだ本は、「街場のメディア論」著:内田樹 です。
日本のメディアの在り方について、非常に辛辣な意見が書かれています。
メディアは自らの担う役割を自覚し、現状に危機感を持つべきであると、
テレビやラジオ、新聞など多種多様なメディアにおける、様々なエピソードを
交えながら警鐘を鳴らしています。
正直僕は、メディアの報道の質について思いを巡らせたことは全くありませんでした。事故で亡くなった方の遺族のところに記者が押しかけて取材活動をすることに憤りを感じるといった程度で、メディア全体の質などといった大きな視点で捉えられるようなレベルではありません。
一般国民の知識レベルの底上げや、報道に対する意識の改革によって
メディアの質が上がるということは考えにくいので、やはりメディアに携わる人々が、内田氏の主張するような厳しい意見を重く受け止めて、主体的に変化を起こして
行かなければならないのでしょうね。
この本は主にメディアについて書かれた本ですが、序章は、
「キャリア、仕事」についての内田氏の主張が述べられています。
この中で非常に共感を覚えた箇所があったので紹介したいと思います。
仕事について考える時に、ことの順番を間違えてはいけない。自分が何をしたいか、自分には何が出来るか、には副次的な意味しかない。
こと生得的才能に関しては、自己評価ほど当てにならないものはない。
たいていの場合、自分の能力適性についての自己評価よりは、周りの人の外部評価の方が正確である。
「自分が何をしたいか」は考えても良いのかなと思ってしまいますが、「自分には何が出来るか」を仕事選びの基準にするのは意味が無い、という意見はその通りだなと思います。
「何をしたいか」を考えて仕事を選択した場合、もし実際にやってみて、実はやりたいことではなかったとしても、それは「こんなことがやってみたい」という主体的な選択の結果ですから、後悔は残りません。
しかし、「何が出来るか」という軸のもと仕事を選択することは、わかりもしない「自分の適性」にこだわって、その適性にあった仕事を探す「作業」に過ぎません。
自分が仕事を選択するのではなく、仕事に自分が選択されることになります。
成功すれば結果オーライなのかもしれませんが、思い描いていたものと違った時に後悔しか残りません。
自分に何が出来るか、どのような長所があるのかを考えることは重要です。
しかし、独りよがりで考えたものを過信することは大変危険です。
他人からの評価にも素直に耳を傾けることが、仕事の選択という人生において大きなウェイトを占める機会において大切になってくるのだと感じました。
gdgd感想終わり。
それではでは。